ばらばらになったぼくたちは、ばらばらだけどバランスのとれた文字を書かなければならない / ジエン社「ステロタイプテスト/パス」

 ぼくはさきほど、震災でぼくたちはばらばらになってしまったと記した。
正確にはぼくは、震災前からぼくたちはばらばらだった、震災はそれを明らかにしただけだと記すべきだったのかもしれない。

思想地図beta vol.2「震災以後」巻頭言(東浩紀)

ここはアルコール依存症の閉鎖病棟なのか、それとも断食病棟なのか判然としない。
“フカヅメイリヤ”をを演ずる俳優が何人かいて、誰が”フカヅメイリヤ”なのか判然としない。
そして、今がいつなのかも判然としない。
セリフが、場所が、時間が、キャラクターが幾層にも重なり合わせ合っていて、捉えどころのないところがないといえばない。

しかし、現実は捉えどころがないといえばない。
そういった意味では現実の状況をまさに表現しているように思えた。


 

 人間には、いくつもの顔がある。——私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然と様々な自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒くさがられるだけで、コミュニケーションは成立しない。
だからこそ、人間は唯一無二の「(分割不可能な)個人 individual」ではない。複数の「(分割可能な)分人 dividual」である。

平野啓一郎「私とは何か 『個人』から『分人』へ」

そもそもぼくらはいろんなコミュニティ=場所に属していて、その場所ごとに様々な自分を生きている。さらに、昔の自分と今の自分もまた別なものだ。たくさんの自分があるけれど、それはすべて自分なのだ。
いろんな場所、いろんな時間のいろんな自分、「ステロタイプテスト/パス」はその多重性を舞台上に現前化させていた。


「ステロタイプテスト/パス」では”ハルナダウミ”という人物が”フカヅメイリヤ”に文字を教えようとする。でも墨がないから文字を書くことができない。
文字は言葉を可視化する。見えないものを見えるものにしてくれるものだ。
そして、文字は残っていくものでもある。

ソーシャルメディアは有益な情報だけじゃなく、僕や村上さんが感じた希望も一緒に運んでいた。あの絶望的な災害の状況の中、ソーシャルメディアが日本の希望を可視化してくれていた。

けどそれは違った。3月12日に原発事故が起こり、ある人は日本滅亡危機を喧伝し、別の人は心配いらない、安全だと不安がる人たちを半ば見下し気味に云い始めた。ソーシャルメディアは日本は一つでも何でもなく、元々分断されていたことを可視化してしまった。原発を巡り「科学的根拠」を示して安全だ、危険だと延々と言い合う人々。どの情報を信じればよいのか突然自分で決めなくてはいけなくなった僕らは、自分にとって「都合の良い」情報だけを信じるようになってしまった。

杉本 穂高 @hotakasugi Film Goes With Net – 映像ビジネスの未来を模索する「311・映像・ソーシャルメディア。希望の可視化と悲劇の継承と

ソーシャルメディアでは写真や動画もアップされるけれども、ほとんどが文字だ。その文字によって、ぼくたちがばらばらであったことが可視化されたのだった。
しかし、TwitterやFacebook、LINEも加えてもいい、それらのソーシャルメディア上の言葉たちはどんどん流れていってしまい、どんどん忘れ去られていく。自分が1年前にソーシャルメディアに書き込んだ言葉を覚えているだろうか?

だうみ「お酒、空になっちゃった。覚えてないんだ。気がつけばもう、空になってた」
イリヤ「スリップしちゃったんですか」
だうみ「ごめんね。また、繰り返しちゃったね」

「ステロタイプテスト/パス」より

忘れたまま、同じあやまちを繰り返してしまうのだ。なぞるように。
だから、忘れないように、跡が残るくらい、強く書かなければいけないのだ。

ハルナ「ちゃんとかいて。書いて。書いて。」
フカヅメ「書いてるつもりです」
ハルナ「もっと強く書かないと、残らないよ」
フカヅメ「これ以上強く書いたら。なんか……跡が残りますよ。」

「ステロタイプテスト/パス」より

 


 

エムオカ「みんな、ばらばらになってしまったなあ。」

「ステロタイプテスト/パス」より

でも、ばらばらだとわかる前から、みんな、ばらばらだったのだ。それはバランスがとれていたから、なんとなくうまくいっていたのだ。

だうフカ「字を、最初からなぞってみて。手を、動きを。そうすると、バラバラだった辺やつくり/部分は、ぜんぜん、バラバラで、でも一つ一つは、へんな、バランスでぎりぎり、なり立っていて」

「ステロタイプテスト/パス」より

ぼくたちはみんな、ばらばらだとわかってしまった。そして、もう一度やり直さなくてはならない。昔のあやまちをなぞるように繰り返すのではないよう、忘れないように言葉を文字で書きとめて。
そしてまた、ばらばらだけどバランスのとれた新しい、きっと今はどこにもない文字を書かなければならないのだ。

だうみ「教えたいの。私は、それは、どこにもないから。だから、どこにもない言葉で、文字で、書くしかないから」

「ステロタイプテスト/パス」より

 


※文中で引用している「ステロタイプテスト/パス」のセリフは、すべて劇場受付で終演後に販売されていた上演台本より引いています。そのため、実際の上演内容とは異なる可能性があります。